脳幹出血 闘病体験記

脳神経外科病棟




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<脳神経外科病棟>
  そんなこんなで普通病棟に移る日が来た、小生は退院できると思っていたので少しショックだった。普通病棟は通称西四、脳神経外科病棟だここに来たのが7月の初旬だったので倒れてから既に1ヶ月以上が過ぎている。始めは詰め所の隣で詰め所とはガラスで仕切られこちらの動きが直ぐに看護師に分かる重症の患者が3人入る部屋だった、小生の隣はICUでも隣に居て小生よりも随分早くにICUを出たTさんとSさんだったが覚えてはいなかった。妻に聞かされてわかっただけの事だ。

 小生はまだベッドから車椅子へも移動する事は出来なく、ほとんど寝たきりだったが時間になると補助看がPT、OT、高気圧酸素へと車椅子に乗せて連れて行ってくれた。

 この時はまだ衛生用具を付けている状態だったが、ICU時代は面会出来なかったのでこの病棟に移ったとたん沢山の面会があったが体を動かせない自分を自慢する馬鹿な自分が居た。同室のSさんは高齢だったがアンテナの向きを良くするのに屋根に上り屋根から落ちて運ばれた脳挫傷の患者だった、高齢と言う事と打った場所が悪かったせいでかなりの高次脳機能障害(後で知った障害)で毎晩大声で騒いで衛生用具をちぎって回りをゴミ箱の様にするので始まったらナースコールは小生が押していた。

 昼間は付添いの奥さんが朝から消灯まで車椅子で病院中を回っていた。そうしないと大騒ぎだったのだ。この時の小生の楽しみは携帯ラジオをイヤホンで聞きながら寝る事だったが、左耳にイヤホンを入れていたが良く聞こえないので妻に「電池が無いので買って来て」と買って貰ったがやはり聞こえないよ〜く調べたら小生の左耳が聞こえないのだ、医師に言ったが「あれだけの出血があったんだから仕方が無い、生きているだけでも良かったと思って下さい」といわれた事もあった。この病室に居る頃気管切開の器具が外れたり食事(始めはおかゆ)が始まったりした。

 食事はまず看護師さんが「これ私の」と言いながらゼリーを口に入れてくれた、そして「これが飲み込めなかったら、まだ点滴だからネ」と厳しく優しい口調で言った、小生は頑張ったが何でこんなに飲み込むのが大変なのか知る由も無い、次の日からおかゆだが食事が始まった。 食事が始まると見る見る回復していって病室も移る時が来た、今度はローカ向かいの3人部屋だった。隣にはもう退院前の元気な人が居たので色々として貰った。まだ自分1人では車椅子には乗れなかったが一度車椅子に乗ると病院中を走り回った。電話も出来る様になった。

 ここでは毎朝大きな注射を2本する必要があった、小生は倒れた時も飲みに行っていたのでg−GTPは1260もあったので毎朝の注射でこの数値を下げたのだ。

 この脳神経外科病棟に来て数週間が過ぎPT、OTのお陰で自分で車椅子へは移れるようになった。この頃OTに某医療専門学校から学生が実習に来ていて小生の担当になる。毎日OT室から病室まで送ってくれたり、パンを買ってくれたり、身の回りの整理をしてくれた。

 隣の病室にやはり脳挫傷で入院している若者が居て高次脳機能障害で毎日大騒ぎで大変だったぶん殴ろうと思うくらい酷かった、看護師さんは手が回らないので母親が毎日朝8時位には来ていた。こいつと次に施設でも一緒になるとは思わなかった。

 この病棟で1ヶ月が過ぎようとする頃血液検査の結果もう正常になり注射は必要なくなった。と同時に病棟も替わらなければならない。
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